長女ちゃんの出産は大変だった
長女ちゃんが産まれてから4年が経ちました。
今月で4歳を迎えます。
今では次女ちゃんが産まれ、嫉妬しながらでも一生懸命おねーちゃんをやってくれています。
長女ちゃん自身も、
「次女ちゃんのことだーいすき!」
と、よく抱きしめています。
そんな幸せな日々ですが、4年前を思い返すと、なかなかハードな思い出があります。
それが、長女ちゃんの出産。
実は、長女ちゃんが産まれるとき、おかーちゃんは破水をしてしまったのですが、破水してからなんと3日間かかってようやく産まれたのが長女ちゃんでした。
おかーちゃんからしたら
「地獄だった・・・。」
と、ほんとうに辛く、大変だった3日間だったようで、
「産まれてきてくれてありがとう」
という気持ちとともに、
「やっと出てきたか!」
という気持ちもあったとのこと。笑汗
そんなおかーちゃんにとっての地獄の日々を振り返ってみようかと。
しかし、
おとーちゃんはその時の気持ちなんて表現の仕様がありません。
そこで、
おとーちゃんの立場から振り返ってみたいと思います。
妊娠〜出産の時期はコロナ禍でした
4年前といえば、コロナ禍全盛期。
妊娠がわかった時というのは、名のある有名人が新型コロナウイルスにかかって亡くなってしまったというニュースが多く流れていた時でした。
そのため、出産時も立ち会いや面会はできません、と病院より。
帝王切開となった時だけ病院に入れるようでしたが、あくまで同意書を書くため。
おかーちゃんに会うことはできない決まりとなっていました。
家族大好きなおかーちゃんとしては、さぞ不安だったでしょう。
「子どもが生まれるの本当に楽しみ!」
と言葉にはしていたものの、おとーちゃんとしては不安感も強く感じていました。
不安感を強く感じたのは、里帰りもしたから。
おかーちゃんの実家にお願いし、長女ちゃんの出産の時には里帰りさせてもらいました。
確か予定日の1ヶ月前から。
おかーちゃんの実家は車で5分程度の場所にありますが、離れて暮らすのは結婚してから初めて。
毎日電話していたのを覚えています。
おとーちゃんとしては、毎日の電話は安心剤でしたが、
電話から聞こえてくるおかーちゃんの声はやはり不安なのかな?、と思うような声。
おかーちゃんの中では、楽しみと不安が入り混じったすごく複雑な気持ちなのかなと、おとーちゃん側としては感じていました。
おとーちゃんとしても、自然と
「大丈夫だよ。」
なんて言葉を繰り返してしまっていたかなと、今では思います。
「破水した」
長女ちゃんの予定日が近づいてきますが、なかなか産まれる気配がありませんでした。
おかーちゃんも体は元気。
おとーちゃんが休みの日には少し散歩をしたりしていました。
そして、
予定日の午前2時頃。
おかーちゃんから電話が。
「破水した。迎えに来てくれる?」
予定日周辺は、スマホの通知音を大きく設定していたので、飛び起きました。
おかーちゃんは破水したようですが、全く痛くはないようで、逆におとーちゃんが焦って。
「わかった、今行く。」
と、すぐに電話を切ってしまった記憶があります。笑
いよいよか、と。
急いで暖かい格好だけして、メガネをかけて一目散におかーちゃんの実家へ車でダッシュ。
(法定速度だけは守りました。偉い。)
おかーちゃんの実家に着くと、義理母と玄関で待っていたおかーちゃん。
全く痛くないようで、元気そう。
しかし、やっぱり不安というか緊張というかを感じる。
おかーちゃんを助手席に乗せ、急いで病院へ。
おとーちゃんとしても、
「大丈夫、頑張ろう。」
と言いながら、一生懸命手を握っていたのを覚えています。
立ち会いができないため、せめてもの応援の気持ちで。
病院の裏口で荷物を受け渡して、おかーちゃんとは一旦バイバイ。
元気そうに笑顔で行きましたが、すぐにLINE。
おとーちゃんの方が寂しそうにしてたかな?と不安だったのですが、LINEでおかーちゃんとつながっていることを感じてもらおうと。
破水はしていたようですが、すぐには産まれないとのことで、おとーちゃんは一時帰宅。
少し寝させてもらって、急ぐわけではありませんが、通常通り起床し、朝食を取り、いろいろ準備。
何かあった時に駆けつけられるようにだけしていました。
なかなか産まれない3日間の始まり
おとーちゃんは、とりあえずスマホを離さずに家で待機。
顔を洗って、朝ごはんを食べて、歯磨きをして、なんとなく髪を整えて、ソファに座る。
9時・・・10時・・・。
TVをみて、録画していたバラエティを観て、アマプラでドラマを観て。
お昼・・・。
ソワソワ、ソワソワ。
何をしていいか分からず、とりあえずソファに座り、寝転がり、TVを目の前にソワソワ。
おかーちゃんとはLINEしていましたが、少しずつ痛くなってきたとのこと。
でも子宮口は2〜3cm。
まだまだ産まれません、と言われたそう。
あっという間に夕方。
おとーちゃんは少し散歩をしたり、ゲームをしたり、勉強をしたり、。
いろいろやりました。
ソワソワしながら。
でも、集中できずに続きません。
ソワソワ。
ソワソワ。
そして、あっという間に夕方となりました。
おかーちゃんからLINEが。
「今日は産まれなさそう。明日になっても産まれなかったら、促進剤打つって。」
痛みに耐えながら、一生懸命報告してくれました。
こんな一言も。
「産めなくてごめん。頑張るから。」
おとーちゃんとしても泣きそうになってしまいました。
おかーちゃんは、1人で一生懸命陣痛に耐えながら頑張っているんだと。
医師いわく、体的には母子共に健康らしく、今のところ帝王切開は避けたいとのこと。
分娩室から帰ってきたら、電話しようと約束し、おとーちゃんも夕食・お風呂・寝る準備を急ぎ目でやりました。
徹夜した2日間
夜になっても陣痛は続いている様子のおかーちゃん。
大体5〜6分起きだったとのこと。
おとーちゃんは寝る準備まで終わったところでおかーちゃんへ連絡。
すでに部屋に戻っていたとのことで、LINE電話しました。
おかーちゃんの声は疲れ切っていて、笑う余裕なんてありません。
おとーちゃんとしてもなんて声をかけたらいいかわかりませんでした。
「お疲れ。」?
「頑張ってるね。」?
「大丈夫?」?
「頑張ろうね。」?
なんか、
おかーちゃんのことを考えると、全てが他人事のように感じてしまう。
おとーちゃんなりの不安があったのを鮮明に覚えているのですが、結局なんて声をかけたか覚えていません。汗
何気ない会話・いまの状況・おとーちゃんの1日・明日の予定、なんかを陣痛に耐えながら話していた記憶があります。
会話は続いていたものの、5〜6分置きに陣痛は来ます。
おかーちゃんもその度に、
「ふー・・・ふー・・・ふー・・・!はぁ・・・。痛み治った・・・。」
の決まったセリフ。
5分置きにこのセリフ。
確か夜の8時か9時頃から電話し始めたのですが、おかーちゃんはもちろん寝れそうにありません。
おとーちゃんは、徹夜を決意しました。
何気ない会話をしながら、おかーちゃんの5分置きの決まったセリフ。
「ふー・・・ふー・・・ふー・・・!はぁ・・・。痛み治った・・・。」
あの夜は長かった・・・。
定期的に看護師さんが子宮口の具合を見に来てくれましたが、なかなか開かず・・・。
10cmまで開かないと出産時の出血リスクなどがあるようですね。
気づいたら、朝の6時。
医師の診察があるとのことで、この辺で一旦電話を切ることに。
おとーちゃんも仮眠程度に2時間くらい寝て、朝の準備をしました。
・・・。
というソワソワした1日を、なんと2日目もほぼ同じ感じで過ぎていきました。
しかも、2日目は促進剤が追加され、陣痛の痛みは数倍になったとのこと。
日中はほぼLINEやりとりができず、連絡が少ない中、おとーちゃんは家でソワソワ。
おかーちゃんは耐えるだけの1日。
何度も泣いた様子。
2日目の夜にも徹夜で電話しましたが、おかーちゃんは何度も
「ごめんね、上手に産めなくて・・・。産めないかも。」
と、気持ちは下がり、弱音が多く。
なんで立ち会いがダメなんだ、とコロナを恨みましたね。
いよいよ出産
さて、破水してから3日目となりました。
昨日は促進剤を入れても産まれなかったので、本日はさらに追加。
確か1.5本分追加したと聞いたので、合計で2.5本分も促進剤を使ったのですね・・・。
3日目は、ますます連絡が取れなくなりました。
そういえば、おとーちゃん仕事は?
・・・、はい。もちろん休みました。
問答無用で休みました。
帝王切開の可能性もあったので。
いやいや、さすがにこの状況で仕事できないだろって。笑
ですが、自宅でソワソワ待ちながら3日耐えるのも我慢ならず、確かお昼過ぎの2時くらいに病院の駐車場に行きました。
「もう、行くわ。」
と、LINEで連絡し、すぐ外にはいるから、とおとーちゃんにできる最大限のことをしようと。
しかし、なかなか産まれる気配はありません。
・・・。
あっという間に外が暗くなってきました。
また徹夜になってもいいように、コンビニでトイレや食事を済ませようと。
近くのコンビニへ行きトイレをしていると、
突然電話が!
一回目は電話を取れませんでした。
ですが、掛け直したら、
「そろそろ産まれるって・・・!」
おかーちゃんが必死に電話してきました!泣
(この時の1回目の電話を取ることができない件について、おかーちゃんは「なんで出ないんだよ!!!」と怒っていたそう。汗)
ココアを買おうとしていたのですが、買わずに急いで病院の駐車場戻りました。
画面映せないけど通話は繋いだままでいいとのことで、通話画面のみ見ていたのですが、ここでもなんて声をかけていいか分からず、
「・・・大丈夫かー?がんばれー」
と、なんか弱々しく話してしまっていました。
なぜかというと、おかーちゃんの叫び声と看護師さんの強目の声しか聞こえなかったからです。
「はいはーい、おとーさーん、聞こえてますよー」
と、軽めに言われたのを覚えています。
そして、ついに・・・
「おとーさーん、産まれましたよー!」
と高らかに看護師さんの声が!
「あ゛ーーーー泣、産まれたーーー泣」
とおかーちゃんの声も。
やっと・・・!泣
おとーちゃんとしてはほっとしました。
あまり産声は聞こえませんでしたが、母子共に健康とのこと。
おかーちゃんにも
「よく頑張ったな」
と通話越しに声をかけ、そのまま30分くらい通話をして、一安心。
結果、破水してから60時間を超える闘いでした。
よほど長女ちゃんにとって居心地がよかったのでしょうか。
聞くと、病院中の産婦人科の先生が集まってきて、吸引やら鉗子やらを使いながら総出で長女ちゃんを出してくれたと。
破水はしていたけれど、母子共に健康だから、できるだけ帝王切開はしたくなかったとおっしゃっていたようです。
おかーちゃんとしては、
「もう切ってください!泣」
と懇願したようですが、下から産むに越したことはないから、と軽く拒否されたようでした・・・。
なんか、おとーちゃん目線になったか分からない内容になってしまいましたが、
長女ちゃんの出産はこのブログでは収まりが効かないくらいの大変さでした。
何より立ち会いができずに1人で頑張ってくれたおかーちゃんを、一生尊敬するでしょう。
悪いことは一切できません。笑
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